アトリエ訪問
織田広比古(おだ ひろひこ)

| 1953 東京に生まれる/1976 東京造形大学絵画科卒業・以後毎年銀座にて個展/1981
現代の裸婦展出品(日動画廊)/1983 上野の森絵画大賞展入選/1984 日伯美術展にて日伯賞受賞・抒情展出品/1985 二科展初出品 特選・日伯展にてMOA美術館賞・上野の森大賞展秀作展出品/1988
上野の森大賞展フジテレビ賞・二科展にてパリ賞/1990 二科展会友/1994 個展(池袋東武〜’95、’98、’00、’02、’04、’05)・二科展会友賞受賞/1995
個展(日本橋三越〜’97、’99、’03)・安井賞展出品/1996 二科会会員推挙/2000 個展(日動画廊)/2001 二科会にて会員努力賞受賞・安田火災選抜選奨展に出品/2004
個展(いつき美術画廊)・個展(名古屋松坂屋) |

|
・・・いつき美術画廊で先生の新作「月と花束」を拝見しました。ヴァイオリンを引いている少女が、とても愛らしい作品ですね。先生の作品のなかには楽器を演奏している方たちが数多く登場されますが・・・。 私は小学校からずっとヴァイオリンを習っていました。高校の頃まで勉強しておりましたので、当時は音楽の道に進みたいと思っていたんです。 ・・・学生時代は、美術クラブに入っていらしたのかと思っていました。 私の父は作家ですから以前から絵は描いていましたが、どちらかというと音楽や陸上競技やサッカーなどを楽しんで過ごした学生時代でした。ですから作家になりたいというよりは、夢は、音楽家やサッカー選手になることでした(笑)。でもそれが大学受験の頃になって、将来のことをいろいろ考えてアーティストになろうと決心したんです。そのときには音楽の道はきっぱり諦めていたんですけど、絵を描いているときにBGMとして流していると、それが少しずつ絵のなかに溶け込み初めて来たんですよ。ただ音楽を絵のなかに取り込むといっても、現実のリアリティーがなくなるような気がして難しいんですよね。 今は明るい作品を描いていますが、それまでの作品は、黒一色で描いたような・・・無彩色で色差が無かったものですから、100Wの電気をつけても見えないような作品でした。それをどうにか明るくしたいという気持ちがとても強くて、自転車に乗って写生に出かけてみようと。その時一緒に行動していた絵描き仲間と連れだって、彼は昼間は仕事をしていたものですから夜に写生に出かける事になって・・・。
始めは写生に出かけていたんですけれども、段々とアトリエに籠もるようになってきて、ちょうどその頃私の家内に出会って、家内をモデルにして、 暗いバッグに白い月、そこに裸婦を描いていました。でもどうも裸婦が暗くてよく見えない。 「私にとっての月は、作品を明るくするための要素だったけれども、今度は人物を月に例えて、人物を明るくしてみよう」 それで肌色を通り越して、できるだけ白に近くして、まっ黒なバッグに真っ白な裸婦を描きはじめたんです。白と黒の世界だからとても難しくて、半年位試行錯誤を繰り返しました。作家をやめようかなという状態まで突き進んでしまって、とても苦しみましたが、少しずつ形になってきて、今の作品の世界が生まれました。 ・・・モデルは奥様だったんですか。 私の作品のテーマは、家内なんです。ただ家内が忙しくなってきまして、固定した裸婦のポーズをとってもらうのが難しくなってきたので、洋服を着たまま描いたり、旅行に行って風景を描いたり、それに裸婦はご家庭に飾るのには難しいですから。でも裸婦を描くのは、いちばん楽しいんですけどね。
家内にそういうイメージがありますね。私の裸婦は嫌らしさがないから、女性の方でも飾りたいという方が多いです。この棚の上に飾ってある作品が、私のデッサン帖です。実際にポーズをとってもらって描いています。 ・・・先生はデッサンを油絵具で描いてらっしゃるんですか? そうです。旅行に行っても全部油絵具で絵を描きますよ。 ・・・いつもパリに1ヶ月ぐらい取材にお出かけになるとお聞きしましたが、そこでもデッサンは油絵具でされるんですか? 油絵の作家が水彩でデッサンをして、作品を起こしても素材が違うと臨場感が出ないじゃないですか。はじめから油絵具だと質が同じだから、雰囲気がわかるんですよ。
油絵具は技術的に自由だから何をしてもいいわけでしょ。その場の雰囲気をさっと写し取ることができる素材だと思うね。 ・・・自由に描けるといえば、先生のHP(http://www6.plala.or.jp/serenity/hirohiko_pro3.html)で、今年の二科展の作品の制作過程を拝見しました。驚くほどのスピードで直に描いてらっしゃるのでびっくりしました。人物が右に左に入れ替わっていませんか。 あの制作過程はほぼ1日分です。200号を描き出せば1日で、人物の形までいきますから。あの経過はほんの一部なので、実際にはもっと沢山入れ替わっているんです。女性の数が減ったり増えたり、左右が入れ変わったり、上下が入れ変わったり、30分おきに変わったりしています。私はエスキースなしで描くから、写真ではすごく進んでいるように見えるけれども、試行錯誤で悩みながら、体当たりで描いているんです。 ・・・ミケランジェロは大理石を見ると形が見える。という逸話が残っていますが、あのページを拝見していると、先生にも形が見えているのかなという気がしました。 見えないから悩んでる。でもどこかで一瞬見えるんですよ。それは計算してデッサンを重ねていって見えて来るものではない。 一気呵成に描いていって失敗した部分を拭き取ったときに、何が見えるかということなんです。想像もしなかったものが見えてくる。偶然の発見があって、探り続けていくような感じですね。 ・・・そうするといつかフィニッシュが訪れるのですか。 例えば描き続けても良いと言われれば、何年でも描くでしょうね。実は今回の二科展の出品作も会場に行ってから手を入れています。 ・・・え?
・・・作品に登場する男性は、先生ご自身なのですか。 二科展の作品には私も登場します。元々二科展の作品(http://www6.plala.or.jp/serenity/h_exnika.htm)は家族の日記のようなものなので、今年は展覧会の10日くらい前に、ハワイへ行ってきたので「ハワイの夜」として仕上げました。その前の年、89回二科展の作品「プカプカと」は、家族で鎌倉へ行って海水浴をしたときのものです。だから江の島の絵になってしまいました。日記的に描いているんですよ。 ・・・外国の風景のイメージが強かったので、日常生活から描いてらっしゃるとは思いませんでした。 87回展の「月とおっぱい」は、私の子供が5月に生まれたときに、おっぱいからお乳が出る様子を描いたものです。本当に現実的な話なんですよ。特に二科展の作品はそうです。自分の生活がベースにある。
個展の場合は80枚ぐらい描きますが、同じ構図の作品は1枚もありません。全部違う作品を描きたいという気持ちが強いんです。 個展会場でご覧になる方が、1枚1枚楽しんでご覧になれるような配慮をしているつもりです。 ・・・バブルがはじけてからも、これだけの過密スケジュールがあるということは、熱心なファンの方がいらっしゃるんですね。 黒い作品を描いている頃からのファンが応援してくれています。本当に初期の頃は、画廊を借りて展示していましたから、DMを出すときも全部手作りで作品の写真を1枚1枚貼って2000枚近く出していました。そういう努力を積み重ねて、毎年毎年ファンの人達が少しづつ増えてきた。それがやはり基盤にありますね。 ・・・なるほど。最後にこれからの展開を教えて下さい。 以前から、日本的なものを題材として二科展には出品していましたが、これからは小さい作品も描いてみたいと思っています。何回か挑戦したのですが、なかなかうまくいかなくて・・・やはり日本人ですから、日本的なものを描くときは、“美”を直感的に把握することができる。日本的なものを描いたときは、よりイメージがわき出てくる。自分には日本的なものがいちばんぴったりくると思うので、それが普段の制作のなかにもっと入ってきたらいいと思っています。それとハワイの作品にも挑戦したいですね。 ありがとうございました。 (C)Oda Hirohiko |